
猫の肉球と爪で「点」という字を書いてみた。猫のテンテンは、白い体に点々と
濃い灰色があるからだが、きょうの夕方、私とカミサンが見守るなかで亡くなった。
15年ほど前、カミサンが犬の散歩で小さな紙袋を拾った。中に生まれたばかり、
目も明かない猫がいた。大きさは百円ライターほど。獣医にミルクをもらってきて
スポイトで飲ませた。目が開いた時、ミルクをやっていたのが私だったから、私を
親だと思っていた。数年前まで、私の耳を吸ったから、耳たぶがカサカサになった。
テンテンは、自分が猫だと思っていない、自分は特別だと思っているようで、他の
猫に馴染まなかったし、お客さんにもなつかなかった。毛が印泥に入るので
仕事場に猫は入れなかったが、テンテンは許した。奈良から逗子へ越した時も、
テンテンと犬のトノは連れていった。狭いマンション暮らしがストレスになったようで、
毛を歯でむしった。リードをつけて公園を散歩させたが、ダメだった。奈良に帰っても
直らず、舐めて肌が赤く見えるほどになった。老衰で体力が落ちてからは、それも
出来ず、死んだ時は元のきれいな毛並みでいたのが、せめてもの救いだった。
仏壇の前に置いて、カミサンと般若心経をあげ始めたが、ふたりとも出だしで
息を詰まらせてしまった。明日の朝、仕事場の窓から見える場所に埋める。

これを幸運と言っていいものかどうか。Kという会社の新聞広告が、ある広告賞で
部門の3位になった。5年ほど前に始めたシリーズで、すでに小さな賞も貰ったが、
それを他の新聞に転載してのもの。新聞社は同じ原稿の再掲載でも、掲載料は
しっかりもらっている。我々の制作費は、このご時世だから当初の1回分だけ。
東京の受賞式に出席したが、新人コピーライターの頃の先輩がその部門の審査員
だったり、パーティーでかつての広告仲間に会えたから、やはり幸運なのだろう。
話は篆刻のホームページに変わるが。IBMのホームページビルダーでつくった
『篆刻の楽篆堂:田中快旺』は、新作を作るたびに更新して、作品ギャラリーとして
働いてくれているのだが。篆刻で検索していただいても、なかなかたどりつけない。
何とかしなければと考えているところに、Yahooの関連会社から電話があった。
その提案を受けて、新しく立ち上げたのが『印、ハンコ、篆刻の楽篆堂』という
新HP。しかも、これがJWordの「篆刻」というキーワードを代表するサイトとして、
きょうから表示されはじめた。ネット世界に無数にある篆刻関係のサイトを代表
するなどおこがましいが、無数の提案相手の中から何かの偶然で私が電話を
受けたのは、運。これを文字通りの“LuckTenDo”にできるかは、もちろん私次第。

恥ずかしながら、私は中学、高校で演劇部に片足をつっこんでいたことがある。
演劇部員が女子ばかりで、きっと大道具で困ったのだろう、男子がかりだされた。
中学では、『リヤ王』で何とか公爵の役でタイツをはいて舞台に立ったこともある。
そのときの部長M.E.さんが、まごいずみ。大学で英語を教え、翻訳をし、
脚本を書き、銀座の博品館などでひとり芝居も続けている現役の女優さんだ。
奈良にいて、その舞台を見る機会もなかったのだが、ついに大阪能楽会館での
公演、シェイクスピアの翻案喜劇(狂言)「フォルスタッフ(法螺吹衛門)」があった。
彼女は狂言師やオペラ歌手の中でたったひとりの舞台女優。多勢に無勢の中、
よく頑張って、文字通り狂言回しの大役を務めていたのは、見事だった。それよりも、
彼女が中学の頃から、演劇ひと筋の道を歩み続けていることに、頭が下がる。
お祝いに花束でもないだろうから、この篆刻をお渡ししたのだが。彼女のサイトを
見ても名前のいわれが分からないままで、何とかひらがなばかりの構成をしただけ。
むしろカミサンの作った袋の模様が「竹に雀」で、雀百まで踊り忘れず、への敬意。
10〜12日が東京、13日が名古屋の公演で、HP掲載のお願いに答える暇もない
だろうから、新HP『印、ハンコ、篆刻の楽篆堂』に袋とともに無断掲載しちゃいます。

NHK教育テレビは、たまに見るとおもしろい。「青春リアル」は16〜29歳が対象で、
テーマは「居場所がない」だった。親に言われたとおりに生きてきたのだが、空しい。
自分の芯が見つからない。自分の居場所が見つからないと悩む。スキルを身に
つけなければと焦る。そんな若者たちがいた。一発芸のように突然坊主刈りにして、
会社の同僚から喝采を受けた。しかし、彼はそれを3ヶ月周到に計画したという。
「居場所」とは社会の中での存在感、アイデンティティーのこと。それが見つからない
原因は、子どもの時からの親の過保護、過干渉。笑われるのを承知で言えば、
私たちの世代の親は家族を食べさせるだけで精一杯、子どもは放りっぱなしだった。
子どもは自分で遊び仲間を探し、いじめ、いじめられながら、何とか自分の存在を
確保せざるをえなかった。そうしながら、自分とは何かを否応なしに知らされた。
ここの中学は自転車通学だが、雨の日は全員が親か祖父母の車で送り迎えを
してもらう。少子化と3世代同居、山間部特有の様子だろうが、私の息子たちが
通った時には考えられなかったことだ。篆刻は、「居」。祖先の霊を祭るため墓所に
居ること。いまは、祖父母と両親が揃って、子どもの居場所を見えにくくしている。
少子高齢化が、子どもたちの首を真綿で絞めている。未来は、あるのだろうか。

日経新聞の「文化往来」によれば、能登演劇堂での仲代達矢主演の無名塾公演
「マクベス」は、自然と一体になった演出で裏山の森が動く。バックの大扉が開き、
地元高校の演劇部やボランティアが木を持って舞台に前進してくるのだという。
小学校6年の学芸会で。担任の先生が私に、芝居を選んで演出せよ、と言った。
図書館で小学生用の脚本から選んだのは「杜子春(とししゅん)」。杜子春という
若者が手持ちのお金の多寡で友人が増えたり減ったりするので、人間に愛想を
尽かして、仙人に術を教えてもらうという話。場所は、洛陽門前の人ごみの中で。
杜子春が、梨の種を見るみるうちに芽を出させ、木にして実を生らせるシーン。
図書館の横に樫の木があったので、枝をいただいた。その枝を店の台に隠して、
驚いて観衆が覗き込む時に枝を出し、驚いてのけぞる時に見えるようにした。
それを2、3度やって、最後は実をつけた枝にすり替えた。こんなことにクラスの
皆がよくも付き合ってくれたと思うし、子どもながら上出来の工夫だとは思うが。
だからといって、この演出で講堂が割れんばかりの拍手に包まれた記憶もない。
篆刻は、75ミリ角の「山」「川」「草」「木」4顆セットのひとつ。仲代達矢は76歳、
私は63歳。山は動かせないが、石に想いを刻んで天に飛ばそうと、本気で思う。

NHKの爆笑問題の番組で、東京女子医科大学(早稲田大学連携)先端生命
医科学研究所の細胞シートをとりあげていた。心臓の細胞を培養した薄いシートを
何枚も重ねると心臓になる、という恐るべき研究。太田光が「人間つくれちゃうんじゃ
ないの」と気味悪がっていたが。その研究所のある場所は、元フジテレビだった。
このフジテレビに、大学1年の頃、アルバイトに通った。近所の日大芸術学部に
通うお兄さんから紹介された。仕事は視覚効果といって、水、雪、霧、風、火から
背景の電飾までが守備範囲。例えば「三匹の侍」では、太い竹をノコギリで切って
テグスで吊り、刀で切ったタイミングで離せば、ばっさり切られたように倒れる。
顔すれすれに飛ぶ手裏剣は、顔の横にテグスを張っておいて、ループを付けた
手裏剣を滑らせる、というような単純な仕掛けもやった。その「三匹の侍」のセットで。
ブルーシートを敷き、発泡スチロールの岩で囲って大きな滝のセットが組まれた。
流れる滝の水はスタジオの消火栓のホースで、その栓の開け閉めが私の担当。
滝の上の岩影でスタンバイする私の背中に、ぽんと何かが当たった。振り向くと、
三匹のひとりが私を見上げて、ニッコリと笑っていた。篆刻は、旧作の「 if 」だが。
もし私が笑みを返したら、彼によって、いまとは違う人間がつくられていただろう。

私は、結婚以来、男子厨房に入らぬ主義を貫いているが、我が家の構造上、
厨房のある土間を通らないとトイレにも風呂にも行けない。カミサンが料理好きで
主義を貫いても支障はない。30代半ばに、広告代理店を辞めて、職業訓練校で
大工の勉強をしたときは、カミサンが友人の花屋を手伝いに行ったので、やむなく
炊事・洗濯・掃除をしたが、献立はカレーや親子丼の繰り返しでしのぎ通した。
さて、ふたり目の孫が予定より2週間も早く生まれて、カミサンは大阪に行ったまま。
残された私は、厨房に入らざるをえず、さりとてワザワザ買い物に行くのも面倒で、
冷蔵庫・冷凍庫にある食材でなんとかやり繰りした。豚肉の生姜焼きや親子丼は
まあまあの出来。ひき肉とナスを炒めたが、新しいスチーム・レンジで肉の解凍が
よく分からない。冷凍のひき肉をフライパンに入れて炒めてから、その後にナスを
入れたから、ナスが食べ頃になるまでにひき肉は粒つぶコリコリ。不味かった。
ヌカ味噌のキュウリだって、毎日素手でかき回して1本ずつ、文字通りに消化した。
篆刻は「厨」で、正字は廚(くりや)。尌は豆(とう)という足つきの食器を手で持つ形。
カミサンの留守も1週間ほどと分かっていたから、何とかマメに自炊もできたが、
男ヤモメは、やっぱり侘しい、味気ない。で、死ぬならばカミサンより先、と決めた。

以前、羊の出産直後を見たが、生まれて30分ほどで立上がり、母親を追った。
哺乳類は胎内で充分に育ってから生まれてくるのだが、人間だけはそうではない。
吉田脩二先生の『ヒトとサルのあいだ』で、人間の赤ん坊は予定日に生まれても
10ヶ月の早産であり、未熟児状態で生まれ出てくると教えられた。脳の進化で
頭が大きくなったので、そうしなければ母子ともに危険になるから、だという。
大阪にいる息子夫婦にふたり目の子どもが生まれた。予定日より2週間以上早く、
2,080グラムだったが、幸い母子ともに元気だった。息子と孫が見守るなかで
出産をしたというが、助産婦さんが陣痛のなかで、こんな話をしてくれたという。
「赤ちゃんは自分の意志で、さぁ、生まれようと決める。しかし、そう決めても
母体のコンディションが万全でない時は、それを感じて思いとどまるのだ」と。
ひとり目の時は、息子も私も、男として新しい生命の誕生という事実に当惑した
記憶があるが。ふたり目では、この赤ん坊の意志に感動する余裕もできた。
それにしても母と子の、このような緊密さに、男たちは到底かなわない。
篆刻は、甲骨文の「出」。足の後ろにかかとの跡をつけて、歩行を示す文字。
この子の真の誕生は、10〜12ヶ月後、言葉を発し、歩いた時。無事に育てよ。

繰り返しになるが、P&Gのプロダクト・マネージャーMr.Dは、全温度チアーという
商品の全権を任されていたから、戦後のGHQのマッカーサーのようなものだった。
私は言いなりになって、ぶざまなCMを作ったのだが。白洲次郎という男は、
マッカーサーにも「失礼だ。日本人を奴隷扱いするな」と怒鳴りつけた、らしい。
先日、NHKドラマ「白洲次郎」の三部作が完結した。私の手元には馬場啓一氏の
白洲次郎の本2冊があるが、どちらを読んでも解けない疑問があった。彼は
戦争に行ったのか。その答えは第二部にあった。軍の高官に「戦争に行くことは
私の使命ではない」と言って徴兵を逃れている。ゆえに、彼はたとえラスプーチンと
呼ばれても、全身全霊を戦後日本の復興に捧げたのだ、という筋書きに見えたが。
私の中ではプリンシプル、ダンディズム、ノブレス・オブリッジ・・・彼をもてはやす
いくつものキーワードがいっぺんに色褪せた。篆刻は「白」で、風化で白くなった
頭蓋骨の形象。彼の栄光は、膨大な戦死者の上にある。彼自身は自らのことを
多く語らなかったらしいが。徴兵逃れという大罪を抱えて、胸張って語れるような者
ではないことを知っていたからだろう。それならば男として、武士の情けで許そう。
比べるのも失礼だが、私は誰もが嫌がる全温度チアーから、逃げはしなかった。

朝晩はめっきり冷え込んできたので、夜はたまらず靴下をはく。で、靴下の話。
P&Gの日本初の商品「全温度チアー」のCMは、我がGD社が制作した。
フィリピン人のプロダクト・マネージャーMr.Dがフィリピンなまりの英語で、
矢のようにアイデアをぶつけて来る。我々はそれを必死で書きとめながら、
CMらしきものにするしか、なす術がなかった。それは、天の声だったから。
ふたつ目の商品は毛糸・おしゃれ着洗いの「モノゲン」で、CMはD社が担当した。
生活シーンを切りとったスライス・オブ・ライフで、病院かどこかの待合室が舞台。
ある男の靴下のゴムがゆるんで下がっている。それを見た他の男が、ズボンの裾を
上げて、ゴムのしっかり締まった靴下を見せながら、「ウチは家内がモノゲンで」と
言う。すかさず、ゆるゴムの男が「いい奥さんで!」と嫌味たっぷりに返すのだった。
きっとMr.Dが “Oh! Nice Wife!!” なんて、お決まりのセリフを言いだしたので、
それを合気道のように、コロッとひねって投げ返したのだろう。それを見て、
私は衆人の前で靴下が破れて、親指が飛び出したように恥ずかしかった。
篆刻は、漢字の大元・甲骨文の「下」で、ものが掌の下にある形。反対の上は
掌の上にものがある。Mr.Dを手玉に取ったD社が上、言うなりになった私は下。